南からの強い風が吹いている。
遠く海を越えてやってきたその風は、この喧噪に包まれている社会の中でも、劣らず賑やかに、
強く、強く、吹き続けている。

彼等は、わたしを「先生」と呼ぶ。
強さとは裏腹に、
わたしの心に小さな小さな波紋を投げつける。
時にそれは、大きく大きく心震わせる時がある。
「先生、、、」
この言葉は重い。

言葉は通じなくても、伝わるものがある。
ただ、そこに居ただけのわたしに、彼等は問う。
わたしは、何を教えただろう。
言葉か、技術か、ルール、、、という私たちの当たり前か。
語ること叶わない想いが、目の奥に宿っている。
「先生は、何を見ているの?」
彼等の姿を見ていると、
わたしの中の「知っているつもり」「頑張っているつもり」「忙しいつもり」は、どんどん崩れていく。
時間に追われる日々の中で、効率や成果ばかりを追いかけている。
この南風は、強さとは遠く繊細な部分を多く持っている。
わたしの国の人と、なにも変わらない。

彼等の行動は、雄弁だ。
迷わず「海を越える」を選び、生きる意味を見出し、
背中に、「時間の重さ」を見て、
目には、「祈り」さえ感じる。
そして、笑顔に、「忍耐」まで教えられる。
ままならない意思という沈黙で、目前の仕事に心を込められるものだろうか。
疲れた日々の中でも、笑うことを忘れない。誰かのために、笑顔を絶やさずにいられるだろうか。
わたしは彼等の笑顔を見て不快な気持ちになったことなど一度足りとてない。
その屈託のない大きな笑顔の裏にある、
遠く離れた家族への想い、
未来への希望。
わたしは、それを想像することすら忘れがちだ。
もう【在り方】を学んでいるのは、《わたし》だ。

ありがとう
背筋が伸びます。
少なくとも、先生と呼ばれるうちは、吹き飛ばされることなくと、、、
堂々と胸を張り、向い風に立つことの大切さを痛感しています。。。
以下、どんな時も楽しむことを忘れない姿と笑顔達。。。


あなたたちと過ごせる時間があることに感謝です。